カテゴリー「人」の記事

2009年6月 8日 (月)

品田さんのこと

 5日の金曜日のことだ。ラジオのニュースから聞き覚えのある名前が飛び出した。

 藤岡の下久保ダム付近に車が転落する死亡事故があり、遺体が「しなだみつよし」さんだとして身元確認を急いでいるとの報道だった。

 「品田光美」さんだとすれば、よく知っているデジタルホーン奏者だ。御巣鷹山で鎮魂の演奏をすることをライフワークにしている品田さんであれば、下久保ダムのあたりを走っていても不思議はない。

 すぐに車を止め、藤岡署に電話をして確認してみると、どうやら私の知っている品田さんに間違いないようだ。

 品田さんを紹介して下さった諏訪さんに急いでお報せすると、愕然とした様子が電話越しに伝わってきた。今年の秋にコンサートを企画していて、すでにチケット販売を始めたところだという。これまでは別の仕事もしていたが、いよいよ演奏活動に絞って食べていこうと決意したばかりだったとのことだ。

 品田さんのコンサートをお手伝いしたことは、以前このブログでもふれた(デジタルホーンって知ってますか)。その後も、何度かお電話でやりとりをし、お互い世界は違うけれど世にでられるよう頑張りましょうと、淡いながらも存在を気にしあう関係だった。

 亡くなられたあとで知ったことだが、家庭生活は不遇であったようだ。ミュージシャンとしてもこれからという方ではあった。しかし、地道なコンサート活動や鎮魂演奏など、彼のやさしい生き方と人柄に多くの人が共感し、たくさんの人が彼を応援していたのも事実だ。諏訪さんによれば、彼を慕う人達が集まって、残された方々の交流も始まったようだ。

 「田島さんはきっといい政治家になります。私には分かります」と予言めいた物言いで激励して下さったことが思い出される。いつか慰霊登山にご一緒させていただきたいと思っていたのに…。事故とはいえ、志半ばで亡くなられ、残念でならない。

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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以下、諏訪さんが企画していたコンサートにもふれている新聞報道を転載します。

■品田光美さん死去 御巣鷹で鎮魂のデジタルホーン

 520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故の現場に、電子楽器「デジタルホーン」の優しい音色を響かせ、遺族の心を癒やしてきた前橋市広瀬町の品田光美さん(57)が死亡した。品田さんの音楽活動を支えてきた関係者が6日、前橋市内に集まり、早すぎる死を悼むとともに追悼コンサートの開催に向けて動きだした。

 約30年の交流がある藤岡市の会社員福田隆史さん(57)によると、品田さんが墜落事故現場の「御巣鷹の尾根」で演奏を始めたのは1997年8月。その後も事故が起きた8月12日に御巣鷹に登り、事故で亡くなった坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」などを演奏していた。

 品田さんはほかにも月一回ほどのペースで墜落事故現場へ行き、デジタルホーンを吹いていた。追悼コンサートを計画している太田市の会社役員諏訪隆志さん(61)が知り合ったのもそのときだった。

 諏訪さんは2003年4月、初めて御巣鷹山に登り、御巣鷹の尾根の「招魂之碑」前でデジタルホーンを吹いていた品田さんと出会った。「心にしみいる音色に感動し、すぐに連絡先を交換した」

 07年2月に諏訪さんが亡父のアトリエを改装した美術館を開くと、品田さんが駆けつけて生演奏。これを機に交流が深まり、昨年8月には自らコンサートを企画。好評だったため今年も10月に開催する予定だった。

 しかし、品田さんの死を受け、昨年のコンサートを収録したCDをかけ、音楽仲間による追悼ライブの二本立てのコンサートにする考えだ。「品田さんの音楽は人々の心を癒やす音色。多くの人に聞いてほしい」

 福田さんも「品田さんは自分のことより、人のことを心配してくれる人だった。デジタルホーンの優しい音色そのものでした」と話す。品田さんの音楽が人々の心に残り続けることを祈っている。

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 県警の調べでは、品田さんは4日、乗用車を運転中に藤岡市内の道路脇のがけから転落して死亡した。御巣鷹から前橋市に戻る途中だったとみられている。

(H21.6.7 東京新聞 加藤益丈)

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2008年3月18日 (火)

男子三日会わざれば刮目して見よ

 今日、仕事場に昔の職場の先輩が遊びにきてくれた。昨年の選挙を手伝ってくれたSさんだ。

 昔の職場というのは、一時期民間会社にいたときのことで、僕はそこを退職し鳩山事務所へ入ったのだが、Sさんは、僕が退職したあとやはりその会社を退職した。端的に言うと一種の「ウツ病」で、なんとなく勤務を続けることができなくなり、目的もなく会社をやめた。

 当時のSさんは、会うと元気な様子だが、無気力で、眠れないなどの悩みを口にしていた。ポスティングを手伝ってもらったりしたが、すぐに音をあげ、正直言って、選挙で期待できる戦力ではなかった。

 しかし、昨年の統一選挙後、就職をした。僕の選挙を手伝ったり、石川県議の当選を目の当たりにして、少しやる気が湧いてきたのだという。「肉体労働だよ」と自嘲気味に話していたので、僕はてっきり宅配業者の配送センターで工場内作業でもしているのだと想像していた。

 今日、久しぶりに会って話を聞くと、福祉施設でお年寄りの世話をしているという。「世のため人のための仕事がしたくなって」と、衒いもなくいうSさんは、輝いて見えた。「Sさん、いつもありがとうね、なんておばあちゃんに言われると元気になるよ」だって。人並みに利己的なタイプだったSさんが、人のために働いている…!?

 「給料は安いし、体力的にもきつい。けど身体を動かして仕事するのはいいことだよ」とか、「同僚が休憩時間にグチを言ったり、後ろ向きのことばっかり言っているのを聞くとやんなっちゃうよ」なんて発言を聞くと、人間変われば変わるものだと、心底感心した。「数年前に職場で後ろ向きの発言ばっかりしてたのはあなたじゃないですか」とからかってやったが、もはやそのときのSさんとは別人だ。

 人間は変わる。変わることができる。そう僕は信じている。世の中にやり直しがきかないことはない、とも思っている。しかし、その実例を目の前にすると、なんだか変な気持ちもするものだ。

 ウツ気味だったとき、僕なりに彼を励ましてきたつもりだったが、今日はSさんの姿勢に逆に励まされた気がした。頑張るSさんに、次はお嫁さんの世話もしてあげねば、と、ちょっとだけ誓う僕。

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2007年10月29日 (月)

皮肉屋のN老

 中之条町に住む、とある老人からときどき電話がかかってくる。仮にNさんとしておこう。内容は政治や社会状況についてのご意見がほとんどで、多分ひまにまかせてかけてくるのだと思う。皮肉屋のNさんは、地元の政治家やテレビに出てくる政治家の論評をよくするが、評価の仕方が私の見立てとよく合っている。市井の人はよく見ていると感心する。

 Nさんとはどうして知り合いになったかというと、定かではない。私が平成17年の衆議院選挙に群馬5区から出馬した際、応援をしていただいたのが始まりなのだが、確か私の街頭演説を聞いて、事務所に激励だったか、冷やかしだったかの電話をしてきてくれたんだと記憶している。

 落選後しばらく5区での活動を続けていたが、ふるさと太田市にもどることになった。県議選への突然の転戦を決意し、みなさんを驚かせたのが昨年のちょうど今頃だ(当時のブログをご覧下さい)。

 群馬5区との関係はなくなったのだが、Nさんは相変わらず私に電話をしてきてくれる。私のことを評価してくれているのかも知れないし、あるいは、私のところだけでなく、県内のいろんな政治関係者に電話しているのかも知れない。たわいもない話も多いし、老人のひまつぶしに付き合っているだけのような気がするときもある。選挙区も違うことだし、熱心な支援者というわけでもないし、面倒だと思わないわけではない。

 今日の電話でNさんは言う。

 「テレビを見たり新聞を読んだりしていると、政治に対して物を言いたくなるんだ。世間の人はみんなそうだと思う。けど、どこに意見していいのか、誰に話せばいいのか分からないんだ。私には田島さんのようにちゃんと聞いてくれる人がいるからいいが、普通の人はそういう不満をかかえているんだ」

 「田島さんのように」なんて言われちゃあ、聞かないわけにいかない。鳩山事務所にいた時代も全国の不満の徒からご意見を頂戴したものだ。考えようでは、こうして頼りにして電話をかけていただけるということは幸せなことだと思う。年寄りの話は、わかりづらいものも多いが、示唆に富む指摘もある。Nさんの後ろに10人、いや100人のNさんがいて、Nさんはその代表なんだというつもりで、これからも耳を傾けるつもりだ。

2007年2月14日 (水)

須永好之碑

 郷土の先哲、須永好(すながこう)の碑です。

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 僕のふるさと、強戸地区・成塚町の永昌寺にあります。墓参りのついでに撮影しました。片山哲の揮毫によるもので、高さは台座をいれて5メートルにもなると思われる大きなものです。

 須永好は、明治27年、新田郡成塚村の生まれ。当時全国でも有名だった「強戸争議」を主導、「無産強戸村」の成立に中心的役割を果たした人です。無産強戸村とは、須永好が率いる日農傘下の強戸農民組合が、村議会、村農会、産業組合などの機関へ勢力を伸ばし、村長、助役、収入役、村役場書記、区長(八区)、青年団役員などを独占した村政をいい、大正14年より10年にも及びました。強戸村は全国でも稀な小作人の村だったわけです。

 昭和12年には、社会大衆党で衆院初当選、戦後日本社会党の結成に参加、昭和21年の選挙でも当選しますが、議場で倒れそのまま帰らぬ人になったということです。

 詳しくはこちら → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E6%B0%B8%E5%A5%BD

 僕の祖父も須永好の活動を支えていた人間の一人で、戦前祖父の営む床屋は社会大衆党の事務所を兼ねていて、浅沼稲次郎や西尾末広が立ち寄った話などを父もよくしてくれます。

 ちなみに社会大衆党とは単なるマルクス主義的階級闘争史観の左翼政党ではなく、小作争議などの運動を引継ぎつつも、軍と結び「広義国防」(軍拡で民生を行う)路線へと展開し、最後には大政翼賛会へと突き進むという、無産政党のイメージとはちょっと違う動きをしています。

 将来ヒマができたら、そのときどきに須永好はどんな対応をとっていたのか、研究してみたいと思っています。

2006年11月23日 (木)

闘う弁護士にエール

 前橋市のスナックで、暴力団の抗争に巻き込まれて一般市民4名が射殺された事件を覚えている方も多いと思います。その事件で、昨日遺族の方々が暴力団組長らを民事訴訟で訴えました(文末の新聞記事参照)。

 これはいわゆる「使用者責任訴訟」とか「組長訴訟」とか呼ばれるもので、暴力団に対する市民の側の対抗措置として近年注目を集めている手法です。

 ふつう使用者責任とは、会社などの団体や個人が、ある人物を事業で使い、その人物が事業に絡んで不法行為を働いた場合、使用者が被害者に対して損害賠償責任を負うというものですが、これを組長と暴力団員に適応しようというのが、暴力団への「使用者責任訴訟」と呼ばれるものです。

 平成7年、京都府警の巡査部長が組員と間違われ、山口組系の団体組員に射殺された事件で、巡査部長の遺族が、山口組組長や実行犯ら4人に1億6400万円の損害賠償を求めて提訴、平成16年の最高裁判決で組長と組員の間の使用者責任を認定したというのが、最初の判例です。

 その訴訟の弁護団の1人が、私のよく知る高崎のS弁護士です。かつて中島政希さんが「新党さきがけ」を群馬で旗上げしたとき、代表代行として活躍されたのがS弁護士でした。当時中島さんは代表幹事、僕は事務局長として、「さきがけ」の群馬県本部を設立したのでした。平成7年の頃です。

 以来、民主党結党を経て現在に至るまで、温厚な人柄と変わらぬ情熱で、私達の政治活動を支えてきてくれています。普段、Sさんの仕事内容については知る由もありませんが(守秘義務があるので訴訟の話はしないのです)、こうした大きな事件のときは、報道などで、その活躍を知ることができます。

 藤岡市に居座っていたオウム真理教を追い出したときも、S弁護士の功績が大きく、住民との諍いなしに平和裡にオウムを追い出した例は全国でも稀だと言われました。

 今回、新聞掲載の写真で、Sさんが弁護団にいることを知ったわけですが、こういう大変な、面倒な事案を引き受けるところがSさんらしいと、心から敬意を表します。ともに社会正義の追求のため、頑張りましょう!

 命がけの訴訟に臨む同志に、心からエールを送ります。

(訴訟の重大性に鑑み、本名は伏せました。多分わかると思うけど)

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【参考】前橋スナック乱射 遺族、使用者責任問う

 前橋市三俣町のスナックで2003年1月、暴力団抗争の巻き添えで市民ら4人が射殺された事件で、亡くなった同市内の男性客の遺族3人が22日、「指定暴力団トップには下部団体組員への使用者責任がある」として、事件の首謀者などとして殺人罪などで起訴されている指定暴力団住吉会系暴力団組長ら3人と、住吉会の西口茂男総裁と福田晴瞭会長の計5人を相手取り、総額約1億9760万円の損害賠償を求める訴訟を前橋地裁に起こした。

 使用者責任に基づいて指定暴力団トップに損害賠償を求める「組長訴訟」は全国で相次いでいるが、前橋の事件で遺族が提訴したのは初めて。

 事件は、1月25日深夜、同市三俣町のスナック店内外で2人組が拳銃を乱射、スナック客の市民3人と、指定暴力団稲川会系元組長の警護役が殺害され、元組長ら2人が重傷を負った。稲川会と住吉会の抗争を背景に住吉会系暴力団会長矢野治被告(57)(1審・公判中)が同元幹部小日向将人(37)(2審死刑、上告)、同幹部山田健一郎(40)(1審・公判中)の両被告に元組長殺害を指示したとされる。

 原告弁護団(石田弘義団長)によると、04年2月に矢野被告らが逮捕され、不法行為の損害賠償請求権の消滅時効(3年)が迫っているとして提訴に踏み切ったという。

 提訴後、弁護団は会見し、「私たちのように悲しむ人間が増えないように、このような犯罪を減らすために、暴力団を許してはいけない」などとする原告の声明を読み上げた。

 事件の別の被害者の遺族も当初、提訴を検討していたが、最終的に「裁判まで起こして損害賠償を求めるつもりはない」という結論になったという。

 指定暴力団トップの使用者責任を巡っては、山口組の下部団体組員に射殺された京都府警警部の遺族が賠償を求めた訴訟で、最高裁が04年11月、トップの使用者責任を認める判決を言い渡している。

 弁護団によると、東京、横浜両地裁で現在、住吉会と稲川会のトップに損害賠償を求める組長訴訟が続いており、今後、両訴訟の弁護団とも連携していく方針という。

(2006年11月23日  読売新聞)

2006年11月11日 (土)

タニ君

 友人のタニウチ君が、東京から選挙の手伝いに来てくれました。

 タニ君は僕の後輩の後輩という関係で、昨年の僕の衆院選のときにもボランティアで参加してくれた、優秀な学生スタッフです。一見クールな印象ですが、僕の選挙事務所に泊り込んで献身的に働いてくれた、いまどきの若者にはめずらしい熱い男です。

 今回は石川選挙を手伝ってくれるということで、貴重な土日を泊りがけで高崎入り。同志とは本当に有難いものです!

 せっかく若い人材が来てくれたので、じゃんじゃん働いてもらおうと思ったのですが、本日あいにくの雨模様で、あまり外での活動に適しておりません。午前中は僕と車で用事を済ませ、昼は食事をしながら戦略会議。

 午後も車で出かけたところ、あっ、タニ君の様子がおかしいっ。

 「車に酔ったみたいです…」、と助手席でぐったりするタニ君。

 どうも車酔いじゃないみたい。風邪だねこりゃ。着ているものもちょっと薄着すぎやしないかい? 群馬は寒いんだよ。

 パプロンを飲んだけど回復の見込みなし。

 ということで、強制送還に決定。

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 高崎駅へ送られる車中で無念の表情を浮かべるタニ君。

 若人よ、こんな日もあるさ。気にするな。次回3倍働いてもらうからね♪

2006年9月 8日 (金)

山本老兄

大阪助っ人5日目。

午前中は豊能郡で街宣活動。街宣といっても、明日原口一博先生が街頭演説をするというので、その告知のための街宣活動です。「明日10時15分より物産センター前におきまして、テレビでおなじみの原口一博衆議院議員を弁士として…」というようなことを3時間近くしゃべりっぱなし。くたびれました。最後の10分くらいは酸欠気味。

午後、大阪は住吉神社のほど近くに住む山本さんという僕の"友人"(写真右)が、選挙事務所に訪ねてきてくれました。

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松田さんという友人を伴ってお出でいただきまして、松田さんは、旧制茨木中学のご出身で大阪9区に地縁血縁も多く、今度の選挙に必ず役に立つから、「田島の手柄にせえ」ということで、ご紹介いただきました。

当時の茨木中学は、水泳が強く「日本近代水泳発祥の地」の碑があることでも知られていますが、松田氏はそこで非常に有名な選手だったそうで、現役時代は全国ランキングでベスト10に入る選手で、今でも水泳連盟の役員や、茨木水泳団の団長を務めています。戦後ビルマに長く滞在し、ビルマ日本人会の会長だったそうですが、ビルマでも水泳を指導、教え子が世界大会で優勝し、当時松田コーチの名はビルマで知らない者はいないという人物。

なかなかすごい人を紹介して下さった、山本翁。

大正10年の生まれで85歳。声はデカいし、頭も体もしっかりしている極めて元気な爺ちゃん。なぜか僕のお友達。なんか繊維関係の会社を経営しているらしいが、よくは知りません。別に親戚でもないし、親の代に付き合いがあったわけでなし、お世話になったことも、したこともなく、フラットな関係という意味であくまで"お友達"です。

さて、この爺ちゃんとの関係につきましては、稿を改めまして書くことにいたしましょう。

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